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Topic: 【翻訳】Bitcoin and me (Hal Finney) - ビットコインと私(ハルフィニー) (Read 66 times)

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サトシナカモトと共にビットコインを開発したHal Finneyの「Bitcoin and me」の日本語訳です。



この投稿ではビットコインと私を巡る、過去4年間の様々な出来事を書きたいと思います。

私の事を知らない方々へ。私の名前はHal Finneyです。私の暗号関係の仕事の始まりは、Phil Zimmermannと緊密に協力して作業を行った初期のPGPでした。
PhilがPGP Corporationを起業した時の最初の同僚の一人が私でした。私は退職するまでPGPで働き、同時期にCypherpunksに関わっていました。
他の活動の中では、最初の暗号ベースの匿名リメーラーを実行しました。

ここから2008年後半の事とビットコインの発表の事まで早送りして私の人生を紹介します。
私は暗号学好きの50代半ばの中年が、徐々に皮肉になっていくことに気づいていました。私はもっと理想主義的で、常に暗号、謎、そしてそのパラドックスを愛してきました。
Satoshiが暗号学メーリングリストでビットコインを発表した際、彼は皆から懐疑的に思われていました。暗号学者達は無知な初心者による壮大な計画をあまりにも多く見てきたからです。
そのため、彼らは反射的にそう言った懐疑的な反応を起こす傾向がありました。
しかし、私はビットコインについて彼らよりポジティブに捉えていました。長い間、暗号化された支払いスキームに興味を持っていたのです。
さらに幸運な事に、ビットコインによって実現されるアイデアを生み出した者として認識されている、Wei DaiとNick Szaboの両者に会い、様々な連絡をすることができました。
また、私はRPOWと呼ばれる独自のプルーフオブワークベースの通貨を作成しようとしたことがあったため、ビットコインを魅力的に感じたのです。

Satoshiがソフトウェアの最初のリリースを発表した際、私はその趣旨をすぐに理解しました。私は彼以外でビットコインを実行した最初の人物だったと思います。
私はブロック70をマイニングし、Satoshiがテスト用の10枚のコインを送信してくれた際、私は最初のビットコイントランザクションの受信者でした。
私は次の数日間、サトシと電子メールで連絡を取り続けましたが、その殆どが私によるバグ報告とSatoshiによるバグの修正でした。
今日、Satoshiの正体は謎となっていますが、当時は、とても頭が良く誠実な日系の青年だと思っていました。私は人生の中で多くの素晴らしい人々と知り合いましたが、その様な人々と同様の印象です。

数日後、ビットコインは大分安定して実行されていたため、実行したままにしました。
難易度が1の時代だったため、GPUを使用せずともCPUのみでブロックをマイニングできました。
私は数日かけて幾つかのブロックをマイニングしましたが、コンピュータが熱くなりファンの音が気になったため、オフにしました。
今思えば、もっと長くマイニングし続けていれば良かったのですが、最初の頃からマイニングに携われたのはとても幸運でした。楽観的か悲観的かでその評価が変わるだけでしょう。

次にビットコインについて聞いたのは2010年後半で、運用が継続しているだけでなく、ビットコインに実際に金銭的価値があることに驚きました。
私は昔のウォレットを確かめ、ビットコインがまだ保存されている事が分かって安心しました。価格が実用的な金銭価値まで上昇したため、私はビットコインをオフラインウォレットに移動しました。
そのビットコインが私の相続人にとって価値があることを願っています。

相続人と言えば、2009年に突然致命的な病気と診断されたとき、私は驚きました。その年の初め、私は人生の中でも最高の状態でした。体重が大幅に減り、長距離走に励んでいました。
ハーフマラソンを何回か走り、フルマラソンのトレーニングを始めていました。20マイル以上走れるようになり、準備万端だと思っていました。しかしその時から全ての調子が狂い始めたのです。
私の体は衰え始めました。話しにくくなり、手の力を失い、足の回復も遅くなりました。そして、2009年8月にALSと診断されました。この病気は有名野球選手であるルーゲーリックの名前を取り、ルーゲーリック病とも呼ばれています。
ALSは、脳から筋肉に信号を運ぶ運動ニューロンを殺してしまう病気です。最初の症状としては衰弱を引き起こし、徐々に麻痺を増加させます。通常、2年から5年で致命的な症状となります。
最初は症状が軽度だったため働き続けましたが、倦怠感と話しづらさの問題が原因で、2011年初めに引退を余儀なくされました。それ以来、この病気は容赦なく進行し続けています。
私は現在、殆ど麻痺の状態です。チューブを通して栄養を与えられ、呼吸は別のチューブに頼っています。私は市販のアイトラッカーシステムを使用してコンピューターを操作しています。
音声合成装置も付いているため、これが私の今の声です。私は一日中、電動車椅子で過ごしています。目で車椅子の位置を調整できるように、arduinoを使用してインターフェースを作りました。

様々な調整はあるものの、今の人生はそれほど悪くはありません。読書をしたり、音楽を聴いたり、テレビや映画を見たりすることがまだできます。最近では、コーディングさえできる事が分かったのです。
今の私のコーディングは非常に遅く、恐らく以前よりも50倍は遅いものです。しかし、私はまだまだプログラミングが大好きで、私に目標を与えてくれます。私は現在、マイクハーンが提案したものに取り組んでいます。
それは、「信頼できるコンピューティング」をサポートするように設計された最新プロセッサのセキュリティ機能を使用して、ビットコインウォレットを強化するものです。リリースの準備がほぼ整ったため、あとは文書化をするのみです。
そしてもちろん、ビットコインの価格変動は私にとって興味深いものです。私はビットコインに投資をしていますが、私がビットコインを手に入れたのはただ運が良かったためで、自分の功績は殆どありません。
私は2011年のビットコインの大幅下落を耐え凌ぎました。そう言った事は以前に見たことがあります。悪銭身に付かずということです。

以上が私の人生の話です。私は人生を通してとても幸運でした。ALSがあっても、とても満足な人生ですが、私の余命は限られています。ビットコインの相続についての議論は、学術的な興味以上のものがあります。
私のビットコインは貸金庫に保管されていますし、息子と娘は技術に精通しているため、十分に安全だと思います。私は自分の遺産に満足しています。
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